遥かなる君の声 V 29

     〜なんちゃってファンタジー“鳥籠の少年”続編
 



          29



 冬の間、深い雪に閉ざされてしまう王城キングダムの北の奥向き。堅固な城塞に囲まれた、城下都市の中央部に聳える白亜の主城の、王宮内宮への急襲という攻勢を受けて立ち、襲撃者を追うという格好にて始まった、この騒動における最後の戦いは、今やいよいよの正念場を迎えていた。こんなところに伏せていたとはと皆して驚いた、城下地下の潜伏先へと飛び込んだ一行は、直接の敵と目されていた“炎獄の民”の一派が行く手を阻んで立ち塞がるのへと苦戦させられたものの、

  『………俺らはとんだ道化者だったのだ、兄者。』

 そんな彼らの側にて、仲間内から明らかにされた驚くべき事実があって。故郷から遠く離れた異教徒たちの土地で、迫害の目から逃れながら細々と生き残りし一族すべての精力をかけてというほどもの、こうまでの苛烈な行動の礎が瓦解し、真の敵が明らかになって。そして、

  ――― ご心配をおかけしました。

 その身のみならず意志までもが封じられ、怪しき何物か…闇の太守とやらを召喚するための“寄り代”として囚われの身となっていた白き騎士・進清十郎を、小さな皇子の決死の想いが通っての奪還に成功。しかも、真の黒幕だった“僧正”こと、負界から来たりし闇の者をも引っ張り出せもした。捨て身の攻勢にて敵を闇を薙ぎ払い、諦めを知らぬ追跡を粘り強くも続けたことでじりじりとにじり寄り、


  そして今、
  彼らは“大陸の底”へと到達していた。


 ここまで彼らが辿って来た隧道も、古くて粗削りではありながら、間違いなく人為的な、何者かが“拵
こしらえた”ものではあったけれど。この空間の完成度はそんな比ではない。精密に切り出されて積み上げられたものだろう、精巧な石積みの平かな壁の上層には、煤けた陰や曇りなぞ一切ない玻璃の火幌で炎を覆われた明かりが、等間隔にて煌々と灯されてあり。果てしなく吹き抜けではないかと思わせるほど、その先が遥か頭上の闇へと没した高い高い天井を支えているらしい、側面に複数角形となるよう刻みの入った何本もの円柱が、まるで古代樹になる林のように連なっており。いかにも古代の神殿か何かのような荘厳な空気を醸し出している。その割に…途轍もない地下地中である筈の、息苦しいほどもの圧迫感が消え去っていて、
「…一種の相殺か?」
「かも知れぬ。」
 地中であるというだけではなく、この大陸を覆う聖なる気脈の主幹流の通り道でもあるがため、強烈なまでの奔流には歯が立たず、善かれ悪しかれ、咒による次空跳躍が外へも奥へも出来ないでいたほどだったというのに。此処にはその気脈から放たれていた“圧”もまた感じられないほどであり。ということは、

 “そんな聖力を相殺してしまうほどもの“闇”の精気を充填させてあった、
  忌まわしき祭壇が間近いということだろうよ。”

 急襲を受けた彼らが、奪われたものを取り戻した彼らが、それだけでは済まさじと追って来た存在。こんな場所にこんな古刹があると前以て知っていた、いやさ、かつてこれを此処へと築いた本人だったに違いない存在。

 「奴にももうあまり時間の余裕はあんめいだろうしよ。」

 最初は陽白の一族を内部から殲滅させるために。それが間に合わぬまま一斉に滅ぼされかかりし危機を前にするや、今度は単なる自己保身のために。何にも知らないでいた…もしかせずとも、元は不思議な力さえ持ち合わせてはいなかったのだろう“炎獄の民”を操って。故郷を捨てさせ、何世代にも渡る 実のない難民生活を余儀なくさせたその揚げ句。新たな“月の子供”の降臨を前に、時は満ちたと古ぼけた道具を持ち出して、その野心を遂げんと動き出したる狡猾な悪魔。やはり“炎獄の民”の一人であった進を“寄り代”として、負世界から強大な力を持つ“闇の眷属”を招こうとしていた闇の者。

  「…さあ、いい加減に鳧をつけさせてもらおうか。」

 蛭魔が鋭い視線を投げたその先。等間隔の石柱が居並ぶ先には、闇にその輪郭を霞ませるほどの遠くに、石積みの壁があるだけだったものが。
「…あ。」
 そこへと見る見る、直線の亀裂が縦に横にと走って…それから。荘厳で重々しい轟音と共に、石の壁は真ん中から分かれての左右へとその口を大きく開いた。表面に張られてあったタイルのような石壁がはがれ落ち、その下から強引なまでの力強さで押し開かれた扉はたいそうな高さと厚みを持っており。この“石柱の間”の空気をびりびりと震わせもっての仰々しき開放を終えると、その向こうにたゆたう漆黒の空間から、

 《 よくもまあ、こんなところまでも追って来れたものよ。》

 嬉しくはないが聞き覚えのある声がした。輪郭の割れた、されど実体の無い存在が出しているかのような曖昧な声。
「やはりな。無視し切れずにお相手下さるか。」
 逃げようにも此処より先はない終着地点。招こうとしていた存在も、寄り代なくしてはこの陽界へ現れようがない巨きさの代物。
「二進も三進も行かなくなっての逆ギレか?」
 この期に及んで、もはや打つ手はなかろうにと、鼻先で嘲笑った蛭魔へと、

 《 なに。
   わざわざ寄代を…虚体を持って来た愚かさを、嗤ろうてやろうと思うての。》

 そうと言う割に姿を現しはしない僧正であり。とはいえ、甘く見ているとロクなことがなかろうと。まさかとは思うが用心のため、葉柱がセナと進の傍らへフォローに駆け寄りかけたその目前で、

  ――― 薄暗い空間だったから尚のこと、

 眸が灼けるかとも思えたほどの、痛いほど目映い光の筋が一条。扉の側から伸びて来た、その残像ごと。小柄
こづかほどもの長さの光弾となって、正に一瞬の殺気として、葉柱が護りに向かった対象へ、貫き通らんと躍りかかったのだったけれども。
「な…っ!」
 ぎょっとした葉柱が、その直後。凍りつきかけた心臓と背条を、ほぼ同じ速度にて緩ませたのは…。

  「………っ。」

 進がその聖剣を抜いた訳でもなければ、特に大仰な構えを取った訳でもない。仔猫の姿のカメを抱いたセナのすぐ傍らに立っていた進は、そのまま…流れるような所作にて長くて屈強な腕を延べると、自分の御主を懐ろへと掻い込んだ。導師が学ぶ“咒”というものを一切知らない、生粋の剣士たる彼は、咒に由来する攻撃や何や、気配は感じ取れてもそれへと抗する防御を知らず。あまりに瞬間的だったその光弾へ、気配を察したと同時、咄嗟の判断でその身を楯にしようと構えたまでだったのだろうけど。小さな公主のお顔を懐ろへと伏せさせ、その背中で交差させた腕の肘あたり。彼もまた使い勝手を知らなかった新しい装備の防具が、その輪郭を煌めかせ、

  ――― ヴォヴァッ、と。

 此処にいた者が、その楯をまといし当人以外は皆、咒の使い手だったので。ほのかに淡い光の膜が、それこそ、砲撃のような勢いにて前方へと放たれたのを目撃し。こちらに到達するよりずんと前、微妙に前方に立っていた蛭魔まで内側へと取り込んでのフォローをしての。聖なる光の障壁を勢いよく広げることで、妖しき光弾を阻んだのみならず、
「おお…っ。」
 冷たい石畳へと無情にも振り落ちた、幾つもの幾十もの火花のように。散り散りに破砕し、摺り潰してしまった威力の凄まじさよ。葉柱が、蛭魔が、その眸とその感応でまざまざと把握し、驚嘆したのは言うまでもなく。
「水の聖霊が守りし“アクア・クリスタル”を鋳込んだ楯だものな。」
 聖なる者、またはそんな誰ぞかを守りたいとする意志の下。邪しまな何者が襲い掛かろうと、持ち主の意志を支えての力強く、その防御の楯は限りない力を発揮するのだろう。そして、
「…進さん。」
 もう再び、この大切な人を奪われるものかという、皇子の意志もまた働いたのだろうと思わせたのが。小さな手が…片やは小さな仔猫を抱きながら、もう片やがしっかと騎士殿の道着の背へと回されており。そぉと上がった幼いお顔には、ただ守られてばかりではいないという、彼なりの強い意志が滲んでもいて。

 「残念だったの、僧正様とやら。」

 そちらの大望を叶えさせるため、喉から手が出るほどにほしい存在だろうに。その程度の目眩ましでは、取り込むどころか攻撃としてさえ もはや利きはせぬぞとの、揶揄を含んだ声をかければ、

 《 ぬう…。》

 荘厳な大扉の向こうから、何者かが ぞわりと蠢いたような気配が立った。壁に据えられた明かりがあるこちらから望む分には、何も見通せないのが癪で歯痒いが、さりとて迂闊に近寄ることもそうそう出来ず。じりじりと待つ内、その戸口にぼんやりと何者かの輪郭が見て取れるまで近づいて。

 《 寄り代は、何もそやつでなければならぬという訳ではないのでな。》

 仰々しい僧衣を身にまとい、渋皮を張った古木の枝のような、いかにも節槫
ふしくれ立った枯れた手には、使い慣らされた錫杖を握ったその姿にも覚えのあるご老体。炎獄の民らを率いし僧正様にして、遥かなる大昔に負界から遣わされたる闇の者。やはりしわの目立つその上へ、引きつり気味の老いた顔には、だが。追い詰められた者の気負いや、はたまた焦燥のようなものが見られないのが、こういった修羅場には、嬉しいことではないながら縁も多々ある蛭魔が、怪訝そうにその細い眉を顰めて見せる。
“…何だ?”
 絶望から怒りを放つ、その直前の静けさ…とも思えない。妙に落ち着いた態度でいる魔界の老爺のその態度の不貞々々しさが、蛭魔の胸の裡
うちでしきりと警鐘を鳴らしてやまない。油断をするなと、何かしら大きな切り札をまだ持っている相手だと。確証はないながら、そんな手ごたえをのみ伝えて来ており。

 “…寄り代は、何も進でなければならないって訳ではない?”

 彼の言ったこと、そのまま胸の内にて繰り返した蛭魔が、
「…っ!」
 はっとしたのとほぼ同時、

  ――― ・どんっ、と。

 大きな圧が扉の方からこちらへと飛んで来て、そのまま空間内を充填してゆく。
「な…っ。」
「新手の攻撃か?」
 だが、強い風が押し寄せたような感覚こそあるものの、特定の意志や殺気は感じられず。だからこそ、進も、そしてその腕へと装着された楯も反応を示さなかったに違いなく。急に気圧が増したようになった空間の中、それによって気流が生じたからだろう、風が起こって舞い上がる埃からセナを庇おうと、進が皇子を抱き込んでいた腕の環を狭める。公主の護りはそれでよしと見切った蛭魔だったが、
「…。」
 葉柱やセナと同様に、咄嗟には正体を見極められなかったことが引っ掛かり、あらためて僧正の立つ扉を見やって…、
“…まさか。”
 いきおい、瞠目してしまったのは、そこに何かが見えたからではなく。錫杖の先の空中に、例のグロックスを浮かばせていた相手であったことから…とんでもないことを思いついてしまったから。

 “…あいつ、まさか。”

 身じろぎもせずの、仁王立ちしたままな相手を、だが、きつく睨み据えている蛭魔へ、
「おいっ。」
 葉柱もまた、何事か気づいたらしく、切りつけるような声を放ってくる。
「この気配は、もしや…っ。」
「ああ。闇の気配…負の気だよ。」
 扉の向こうに設置されているのだろう、召喚のためにと用意されし祭壇から、此処にまであふれ出て来たほどの負界の大気。
「まさか、此処を負の気で満たす気か?」
 それで俺たちの肺腑や何やを腐らせて、窒息死にでも追いやろうってのかと眉をしかめた葉柱へ、
「そんな可愛いもんじゃねぇさ。」
 蛭魔が視線は逸らさぬままに言ってのけたのが、

 「召喚する相手がすぐそこまで来ている。
  そやつがまとってる分厚い気が、
  先行して来てて、こうまでも滲んで来てやがるってことさ。」

 本来ならば、同じ空間に同居出来ないはずの“陽”と“負”なのに。聖の気脈を相殺するほどの威力の源が、もはやこうまで滲み出すほどの。それほどまでの凄まじい者を召喚しようと構えていた彼であり、そして。
“…グロックスを、あの道標を自身へ掲げてやがるってことは。”
 寄り代なき今、それでも闇の存在を召喚するには殻器が必要だから。老爺が選んだ最後の選択とは、その身へと“闇の太守”とやら、召喚するつもりでいるのではなかろうか。あまりに巨大な相手なら、自分の意志をも呑まれるやも知れぬというのに。そこまでの捨て身で…光の者から滅ぼされるよりはと、覚悟を決めた彼だとしたら。
「進、チビを抱えたままで下がれ。」
 彼の楯も頼りにするが、それへの加勢。相手と彼らの狭間に立って、細い肩からマントをバサリと背後へ、煽りつけるようにして撥ね飛ばし。双眸へと鋭い意志を滲ませながら、両手を胸の前へ掲げ、白い指にて幾つもの印を切る。

  《 クローク・シェルド・ビルツ・ルフ…。》

 何物が現れてもいいように、まずはの障壁を築こうとしての、咒の詠唱。それを聞いていた葉柱が、そして、セナがハッとして、

  「おいっ!」
  「蛭魔さんっ!」

 詠唱をやめさせようと声を高めた。さきほど桜庭が制止して辞めさせた、これこそが…その身を次空通過のための“門”とする、禁忌の咒だったからだ。どんな巨大なものの直撃をも阻む、一番確実な手段であり、そして。

  「悪りぃな。
   ああまでデカいもの、相殺出来る抗性咒を、俺、知らんのだわ。」

 負けを認めるのが癪だがなと、苦笑した蛭魔だったから。
“…そんな。”
 息を呑んだセナが腕を伸ばしかかったが、それを妨げたのは進である。彼もまた、護ることをその身に課した人だから。蛭魔の覚悟のほどが判るのだろう。硬い表情が、だが、止めてはならぬとセナを諭し、
「でもっ!」
 セナの上げた悲痛な声に重なって、

  ――― ここぉ………っ、という。

 透明に澄んだ、甲高い声が上がったのだった。








 
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  *連続アニメによくある“前話までのあらすじ”が
   毎回だだ長くて申し訳ありません。
   書き手本人が、
   話のテンションへと身を投じるのに時間が掛かる、
   そんな年令になって参りましたので。
(苦笑)